nowhereman

フォーラムへの返信

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  • 返信先: 福島瑞穂や野党アベガーが・・・ #66493
    nowhereman
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      「無茶振りP「福島瑞穂や野党アベガーが」に返信

        福島瑞穂は、同業者でしたが、かつて、こんなことがありました。1993年10月28,29日に京都で行われた日弁
      連第36回人権擁護大会では、「戦争における人権侵害の回復を求める宣言」と「選択的夫婦別氏制導入及び離婚給付制度見しに関する決議を採択しようと。弁護士人口1割に満たない左翼活動家が退去して京都に八イェ来て、シンポジュームの会場を支配していました・「戦争における人権侵害」として、「強制連行された慰安婦」と「強制徴用された炭鉱夫」の例が報告され、会場に1993年8月4日の河野談話が拡散していました。ここで、縁談で活躍していたのが福島瑞穂でした。
       河野談話で左翼マスコミに誘導されて慰安婦に対する強制性を認める会見をしてしまった直後に、その洗脳をした「弁護グループ」の1人であった福島瑞穂が張り切ったのは当然でしょう。
       福島瑞穂は、この頃マスコミで売り出しをかけており、「かわいこちゃん系女性弁護士」として、今よりは増しで家庭請けする姿格好でした。そんな福島瑞穂と、10月28日の夜、ホテルのエレベータで二人きりで一緒になったことがありました。彼女は、今ならポリコレ上決してしないであろうしなを作って、僕に、「お世話になっています」と言い放ったのです。これは、その後の「女を棄てた」福島瑞穂が、「女を武器にした」最末期の珍しい行動だったと言えるでしょう。
       ぼくは、一瞬何が起こったのか分からず」さりとて、「こんな左翼くノ一弁護士」を世話したなどと誤解されたままでは、自称保守派弁護士の沽券に関わる」と考え、「人違いですよ、貴女を世話したことは無いです」と言いつのったのです。
       
       これは、今考えると大人げない対応でした。福島瑞穂は、一枚上でした。ニッコリ笑って(可愛かったですね)、「同業の弁護士さんですよね。これから何かとお世話になりますので・・・・今、名刺をキラ知ってしまいましたが、宜しく」とのことでした。僕は、この時、同郷の先輩弁護士の部屋でサッカー日本代表とイラク代表の試合(僕は、ドーハの悲劇を京都のホテルで見たのです)の中継を見ることになっていたのだが、弁護士バッチをつけたジャケットを着ていたのです。
       それで、福島瑞穂に僕が弁護士と分かったのでしょう。彼女は、その頃、弁護士とみれば、だれかれなくこびを売っていたのでしょう。

       面白い時代でしたね。

       福島瑞穂とは、その後、再審法制度改正、犯罪被害者支援などの法務相との折衝の席で一緒になることがありましたが、僕の立ち位置は、「人権派弁護士」としてでなく、「保守系〜アンチリベラル弁護士としての法改正派」であることははっきり示していたので、「挨拶に来ることはなかったですね」。

       北村晴男弁護士が言うように日弁連は、左翼が執行部を牛耳っており、その少数派の主張があたかも全弁護士の主張と想われるようなプロパガンダがされているけど、【保守系弁護士】もそれなりに主張はしてます。ただ、マスコミの前などでは、多勢に無勢なので、空しいですが・・・。

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