7月8日の続き

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      小倉マロン
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        <p class=”p1″>7月8日(続き)</p>
        <p class=”p1″> この変化は、岸田前首相と彼の支持により生まれたといわれる石破現首相の安倍政権否定により生まれたように言われるが、私には、西尾幹二さんさんが言っていた「人は自由という思想に耐えられるか』という日本人の持つ『ヨーロッパの自由主義』への盲目的追従があったのではないかと思う。西尾さんの論考を敷衍して以下に述べる。</p>
        <p class=”p1″> 明治維新という封建主義から近代への移転が求められた際、日本人は、多くのアジアの国々が西洋の植民地になって行ったことから、日本のアイデンティティーを棄て、西洋化を図った。</p>
        <p class=”p1″> 当時のヨーロッパを席巻していた思想は、「自由主義」「平等主義』『基本的人権の尊重』などであり、これらは、旧来の王政や前近代的な封建的支配への抵抗でもあったから、『ヨーロッパの個人主義』として一括りにされた。個人の尊厳を否定する動きは、旧来の「王政や封建制を復活させようとする試みであった。</p>
        <p class=”p1″> しかし、個人主義を構成する「自由、平等、人権尊重」が成熟して偏差を生じるようになると、それらの上位概念である「個人主義」も当然変容していく運命にあったのに、これらの概念を朴訥に守ろうとする思想が現れる。</p>
        <p class=”p1″> 日本では。鎖国の間にヨーロッパに遅れをとり、不平等条約から脱して、植民地に陥ることから免れるために、『ヨーロッパに追いつけ』を至高の価値としていたから、ヨーロッパの個人主義を疑うことは、敗北主義であった。その考え方は、日本の知識人の中に染みこんでいるのだろう。</p>
        <p class=”p1″> 戦争に明け暮れていたヨーロッパに、経済の集合体EECだけでなく政治の統合を進めたECの成立があったときに、ヨーロッパは、世界の、地球の理想のように想われた。その後、イギリスが離脱し、各国の独自性が強まってきたのは、ECの終焉か、一時的停滞かは議論の分かれるところであろう。</p>
        <p class=”p1″> ともあれ、イギリスが離脱するまでは、ヨーロッパは地球上の理想であったとする『思想』が、日本でも主流であり、それを正面から論じなくても自己の思想の根本に持っていることを疑わないのが一般であった。</p>
        <p class=”p1″> その表れが次のような現象を説明するのにちょうどいいのでは・・・?</p>
        <p class=”p1″>1 移民問題</p>
        <p class=”p1″>  ヨーロッパでは、1960年代から、イスラム圏を主体に、移民の受け入れを拡大してきた。</p>
        <p class=”p1″> 国によって濃淡はあったが、押し寄せる移民希望者、難民に国境を開放することが、トレンドであった。その移民による、文化的な習慣の違いによる環境の変化、犯罪の増加につき問題視しする人は、「人種差別者」と言われ、『ヘイト主義者』といわれ、肩身の狭い思いをしていた。</p>
        <p class=”p1″>  日本では、20年ほど遅れて、外国人の受け入れを積極的に認める意見が、与党、野党を問わず、多数派となっているようである。近時、外国人の生活習慣の違いによる環境の変化を問題視する人達を偏屈とするマスコミの論調が問題とされるようになったが・・・</p>
        <p class=”p1″>2 LGBTQジェンダー</p>
        <p class=”p1″>  この問題が岸田前首相の下で立法化されたときに、唐突感を感じた人は多かったのではない</p>
        <p class=”p1″> か?黒海において侃々諤々の議論がされたと言うこともない。自民党の議員の何人かが党内手続違反を理由に本会議での採決に反対又は欠席したが、小数であった。</p>
        <p class=”p1″>3 選択的夫婦別姓</p>
        <p class=”p1″>    (さらに続く)</p>
        <p class=”p1″> (続き)</p>
        <p class=”p1″> この変化は、岸田前首相と彼の支持により生まれたといわれる石破現首相の安倍政権否定</p>
        <p class=”p1″>により生まれたように言われるが、私には、西尾幹二さんさんが言っていた「人は自由という思想に耐えられるか』という日本人の持つ『ヨーロッパの自由主義』への盲目的追従があったのではないかと思う。西尾さんの論考を敷衍して以下に述べる。</p>
        <p class=”p1″> 明治維新という封建主義から近代への移転が求められた際、日本人は、多くのアジアの国々が西洋の植民地になって行ったことから、日本のアイデンティティーを棄て、西洋化を図った。</p>
        <p class=”p1″> 当時のヨーロッパを席巻していた思想は、「自由主義」「平等主義』『基本的人権の尊重』などであり、これらは、旧来の王政や前近代的な封建的支配への抵抗でもあったから、『ヨーロッパの個人主義』として一括りにされた。個人の尊厳を否定する動きは、旧来の「王政や封建制を復活させようとする試みであった。</p>
        <p class=”p1″> しかし、個人主義を構成する「自由、平等、人権尊重」が成熟して偏差を生じるようになると、それらの上位概念である「個人主義」も当然変容していく運命にあったのに、これらの概念を朴訥に守ろうとする思想が現れる。</p>
        <p class=”p1″> 日本では。鎖国の間にヨーロッパに遅れをとり、不平等条約から脱して、植民地に陥ることから免れるために、『ヨーロッパに追いつけ』を至高の価値としていたから、ヨーロッパの個人主義を疑うことは、敗北主義であった。その考え方は、日本の知識人の中に染みこんでいるのだろう。</p>
        <p class=”p1″> 戦争に明け暮れていたヨーロッパに、経済の集合体EECだけでなく政治の統合を進めたECの成立があったときに、ヨーロッパは、世界の、地球の理想のように想われた。その後、イギリスが離脱し、各国の独自性が強まってきたのは、ECの終焉か、一時的停滞かは議論の分かれるところであろう。</p>
        <p class=”p1″> ともあれ、イギリスが離脱するまでは、ヨーロッパは地球上の理想であったとする『思想』が、日本でも主流であり、それを正面から論じなくても自己の思想の根本に持っていることを疑わないのが一般であった。</p>
        <p class=”p1″> その表れが次のような現象を説明するの鬼ちょうどいいのでは・・・?</p>
        <p class=”p1″>1 移民問題</p>
        <p class=”p1″>  ヨーロッパでは、1960年代から、イスラム圏を主体に、移民の受け入れを拡大してきた。</p>
        <p class=”p1″> 国によって濃淡はあったが、押し寄せる移民希望者、難民に国境を開放することが、トレン</p>
        <p class=”p1″> ドであった。その移民による、文化的な習慣の違いによる環境の変化、犯罪の増加に津木問</p>
        <p class=”p1″> 題視しする人は、「人種差別者」と言われ、『ヘイト主義者』といわれ、肩身の狭い思いをして</p>
        <p class=”p1″> いた。</p>
        <p class=”p1″>  日本では、20年ほど遅れて、外国人の受け入れを積極的に認める意見が、与党、野党を問</p>
        <p class=”p1″> わず、ッ多数派となっているようである。近時、外国人の生活習慣の違いによる環境の変化</p>
        <p class=”p1″> を問題視する人達を偏屈とするマスコミの論調が問題とされるようになったが・・・</p>
        <p class=”p1″>2 LGBTQジェンダー</p>
        <p class=”p1″>  この問題が岸田前首相の下で立法化されたときに、唐突感を感じた人は多かったのではない</p>
        <p class=”p1″> か?黒海において侃々諤々の議論がされたと言うこともない。自民党の議員の何人かが党内手</p>
        <p class=”p1″> 続違反を理由に本会議での採決に反対又は欠席したが、小数であった。</p>
        <p class=”p1″>3 選択的夫婦別姓</p>
        <p class=”p3″>       (続きます)</p>

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