「俺は最強だ」引退を決めた英雄と、決めなかった英雄

文化スポーツライターキリンコ

「俺は最強だ」引退を決めた英雄と、決めなかった英雄

4年前の1月、テニスの全豪オープンで、アンディマレーに別れを告げるVTRが流れていた。フェデラーもジョコビッチも錦織も、スターの早すぎる引退を惜しんだ。

フェデラー、ナダル、ジョコビッチと並ぶBIG4の一人で、グランドスラムで3つのタイトル、オリンピックで2つの金メダルを獲得したマレーは、世界ランキング最高1位、イギリスでナイトの称号を与えられている英雄だ。それでも30歳を過ぎると長年の酷使で股関節を痛め、輝かしい成績からは遠ざかった。全豪の記者会見で「これが最後の大会になるかも」とあふれる涙を帽子で隠して席をたったのだから、引退宣言ととられてもしかたなかったかもしれない。

それでもメルボルンのコートでの唐突な引退セレモニーには、違和感しかなかった。正式な発表もないし、何よりマレー自身の表情に引退の決意が浮かんでいなかったからだ。

そして数ヶ月後、マレーはやっぱり帰ってきた。それも人工股関節を入れて。小さな大会の1回戦で復帰後初勝利をおさめると、コート際のベンチで号泣した。タイトル、ランキング、全てを手に入れてもなお、テニスへの情熱が彼を突き動かしていることを示して見せた。

今年、35歳のマレーの14回目の全豪オープンシングルスは、3試合13時間52分で幕を閉じた。セットを取られてもブレイクされても、試合を終わらせない思いの強さがマレーを動かし続けた。ポイント間はラケットにもたれかかるほどフラフラなのに、プレーが始まると苦しむのが好きなのかと思うくらい激しく走り回る。どんなにスマッシュを打ち込まれて体勢を崩してもゾンビのように立ち直る姿は、相手選手に恐怖すら与えたことだろう。

日本テニス界の英雄、国枝慎吾選手が引退を表明したのは、マレーが負けたのと同じ日だ。国枝選手のグランドスラムのタイトルはなんと50個! 生涯グランドスラムを獲り、世界ランキング1位のままでの引退となる。マレーがナイトなら国枝選手は国民栄誉賞をいくつもらっても足りないくらいの功績だ。

ランキングを落としながら挑戦を続けるのも、1位のままコートを去るのも、どちらも頂点を極めた者だけが選べる道だ。私にできるのは、スタンディングオベーションして精いっぱい拍手を送ることくらいだ。

それでも「俺は最強だ」と書かれた国枝選手のラケットを見る時、「Be good to yourself 」と書かれたマレーのテニスバッグの中のノートを見る時、そう書かずにはいられなかった、そうやって乗り越えるしかなかった偉大な選手たちの果てしない道がおぼろげに浮かぶ。彼らが私たちと同じ人間だということに改めて気づいて、胸が震える。

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