政局は往々にして、社の方針に左右される時があります。大平内閣の昭和54年秋・・・

加藤清隆の『俺に喋らせろ!』

政局は往々にして、社の方針に左右される時があります。大平内閣の昭和54年秋・・・

政局は往々にして、社の方針に左右される時があります。大平内閣の昭和54年秋、秋の臨時国会召集即解散ということがあり、当時の田中六助官房長官のお宅に朝回りしました。私は長官の隣に座っていたのですが、長官が取り出した手帳にはある日付の所に大きな丸がしてありました。
長官が我々に日付を教えようとしたんです。私は皆に指で丸を作り、一斉に外に飛び出し、赤電話から速報しました。ところが1社だけ書かなかった社がありました。読売です。
後でその記者に「俺はちゃんと教えたよな」と確認したのですが、その記者の答えに驚愕しました。
その記者は「勿論、キャップにはそう伝えたが、デスクがうちの方針とは違うと言われた」とボツ。どうもナベツネ御大が得ていた情報と違ったようなんです。実際には勿論私の速報が正しかったのですが。加藤

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