今さらですが、本日は大ヒットした「鬼滅の刃」について取り上げたい。

加藤清隆の『俺に喋らせろ!』

今さらですが、本日は大ヒットした「鬼滅の刃」について取り上げたい。

 今さらですが、本日は大ヒットした「鬼滅の刃」について取り上げたい。日本では何処の劇場も超満員が続き、従来のベスト1だった「千と千尋の神隠し」の記録を大きく塗り替え、韓国や米国でも大ヒットを記録した。
 今回は私が師匠と尊敬する宮崎正弘さんの新著から「鬼滅の刃」の部分を引用し、紹介させてもらいたい。

 コロナ禍の異常心理が「鬼滅の刃」のブームという異常現象をもたらした、と考えるのは社会学者。私はむしろ、背景にナショナリズムの復活と興隆があると考える。
 何しろ、悪に怯まず、主人公たちは鬼と果敢に戦うのだ。「話し合いで拉致被害者を返せ」とアメリカに期待をかける現代政治の貧困を超えて、「直接的な軍事行動を起こして奪還せよ」というのが基調にある。

 「鬼滅の刃」のうたい文句は「夜は明ける。想いは不滅」だ。このひょんなブームの煽りで大分・別府の八幡かまど神社参拝に若い女性から家族連れまで押し掛け、1日20人程度だった参拝客が2000人を超え、「鬼滅の刃ランド」と化した。漫画の主人公の名前がかまど炭次郎だから、かまど神社が参拝でとなった。主人公ばかりか、妹の名前がねずこ。長野市蝗害にあるご神木「加茂神社ねずこ」の見物客が増えたという。

 登場人物が次々と命を落として行く映画「劇場版鬼滅の刃無限列車編」を観て、最初に連想したのは三島由紀夫の「武とは花と散華することであり、文とは不朽の花を育てることである」。

 「鬼滅の刃」は基本的に鬼退治の物語。主人公は家族が殺され、妹も鬼にされてしまったために悪を撲滅するチーム「鬼殺隊」へ激しい戦いの末に入隊し、挑戦が始まる。この辺りは何だか新選組を連想する。各班の「組長」は原作では「柱」と呼ばれる。

 また悪党退治へチームワークで挑戦する姿は、坂田金時らの丹波・大江山の酒呑童子を退治した昔話の構図。主人公のかまど炭次郎には仲間が10数人いて、それぞれが強烈なキャラクターを持つ。鬼殺隊が不気味な山を鬼ヶ城に見立て、女装して敵陣に進入する場面はまるでヤマトタケルの熊退治だ。

 かくして「鬼滅の刃」の物語の構成には無数の日本の神話、古事記、日本書紀にヒントを得た要素が多い。神話が隠し味となっている。
 スサノオ、タケミミカヅチミコト、ヤマトタケルの逸話に連想する場面が多いのがヒットの遠因にあるとすれば、ナショナリズムの復権とみることは可能。歴史への回顧、伝統の復帰と解釈すれば、時代背景も納得できる。

 正義を憎み、善人たちを殺し、人々を支配しようとする「鬼」はコロナと中国共産党の鬼的存在に思える。観客はそうしたモヤモヤを晴らす代替行為として映画を鑑賞したのかもしれない。
 鬼が支配領域を広めて行く不気味な展開は、疫病の蔓延現場に非常によく似ている。すなわち「武漢コロナ」という疫病と、その元凶である軍国主義独裁国家の中国が西側に挑戦し、香港を呑み込んでしまった。これが人々の不安心理を煽ったのではないか。

 何が新しいか?コスチュームだ。何しろ主人公たちはそろって目が大きく、なぜか茶髪。その上、ギザギザの浅茅色は新選組の制服に酷似し、背中には「誠」の代わりに「滅」ときている。主人公はイヤリングをしているが、その目立つ耳飾りは日本帝国海軍旗を模した図柄だ。

 スサノオは想像図では髪型を「みずら」に編んでいるが、これは「戦士」を表した。ヤマトタケルの銅像を観ると、耳飾りをつけている。だから「鬼滅の刃」は古代の戦士の意匠に戻ったスタイルと言える。
 主人公の炭次郎が使う刀は「日論刀」という。神武天皇が熊野で苦戦した時、高天原の神剣で神武天皇を救う。この神剣で敵を退散させ、八咫烏(やたがらす)が現われる。このカラスは3本足。サッカー日本代表のシンボルマーク。

 「鬼滅の刃」の刃は皇室の三種の神器である「草薙の剣」を連想させる。「鬼」の代理人らは何やら朝日新聞,NHK 、日教組を連想させる。

 最後の場面で煉獄否寿郎が激闘の果てに死ぬ。だが「俺は信じる。君たちを信じる」と残す言葉は「正義は死なず」「あとに続くを信ず」と死んで行った特攻隊の遺書と同じだ。(加藤)

今さらですが、本日は大ヒットした「鬼滅の刃」について取り上げたい。”へ1件のコメント

  1. keiko i より:

    加藤さん、
    ここまで書いてくいただくと、見たい気持ちになりました。

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