なんて楽しい運動会〜国立競技場にいたら、陸上の日本新記録が見れた〜

文化スポーツライターキリンコ

なんて楽しい運動会〜国立競技場にいたら、陸上の日本新記録が見れた〜

陸上を見るために国立競技場に行くのは何度目だろう。立地もよくてチケットのお値段も手頃、当日思い立ってもチケットはいつも余っているし(いいのかこれ)、気候がよければピクニック気分だ。

 

それでもいつも外苑前の地下出口を出て歩き始めると、なぜか気持ちがひっそりとしてくる。ウオーッとどよめきが漏れる秩父宮ラグビー場を抜け、トランペットの大応援が鳴り響く神宮球場を過ぎ、静かに出迎えてくれるスタジアムは、どこか宗教の総本山のよう。スポーツ観戦のはずが、お詣りの心持ちになってくる。

 

陸上ファンは叫ばない。歌わない。6万人入る立派な競技場の前でみんな穏やかに列を作り、静かに入場口に吸い込まれる。そこにはエンタメが待ち受けている高揚感も「早く着かないとグッズが売り切れる」という焦燥感もない。

 

今年の流行語大賞でもトップテン入りした「4年ぶりの声出し応援」。スポーツ観戦がブームとなったこの一年でも、陸連が全力をあげて観戦キャンペーンを繰り広げても、陸上の地味さは変わらないのか。長距離の生観戦が好きだからこそ、モヤっとする気持ちを抑えられないまま、女子1万メートルのレースはスタートした。

 

「ただ走るだけの競技のどこがおもしろいのか」とよく聞かれるけれど、生の走りには生の歌声と同じような、心をつかむ力がある。足音と息づかいに気持ちがザワザワしてくる。

 

1万メートルは長い。トラックを25周もする。レンズ越しに選手の表情を見る。スタート、1周、2周…繰り返し見る選手の顔に、いつの間にかこれまで見た彼女たちのレースを重ね始める。高校1年生から駅伝でとんでもないスパートを見せた姿、大学駅伝での印象的な走り、ライバルに負けた時の悔し涙、つい先日のクイーンズ駅伝での粘り。

 

いい時もそうでない時もいつもこうやって前だけを見て走っていた姿を思い出すうちに、鼻がツンとしてきた。夢中で声をかけながら気づく。あ、これは子どもの運動会と同じだ。

 

我が子だけでなく、どの子もその成長を知っているからこそ、運動会は泣ける。選手たちのことを子どものように知っているわけではもちろんないけれど、年に数回こうやって自分を絞り出す姿を見せてくれる。走り様を、生き様を見せてくれる。残りの周回が少なくなり、表情がゆがみ、かと思うと目の力がぐっと強くなって前を追い始めたりする。その姿に目の奥が熱くなる。

 

これはとびきりハイレベルな運動会。エンタメでなくても別にいい。メジャーでなくても別にいい。ただ陸上ファンが目をこらし、声を張り上げ、勝手に泣いたり喜んだりすればいい。この大きすぎる校庭も、選手のレベルに合っていると思えばいい。

 

そう考えたらやけに楽しくなってきて、ビールを飲む暇もなく声を張り上げ続けた。男子1万メートル。富士通、トヨタ、旭化成、NTTの選手を見ながら、箱根駅伝で見慣れた順天堂、駒澤、早稲田、東洋のユニホーム姿が重なる。何度も見てきた、久しぶりに見るその走りを、鼻をツンツンさせながら見る。

 

速い速い、めちゃめちゃ速い運動会は、3名が日本新記録というとびきりのプレゼントと共に終わった。こんなことは滅多にないけれど、続けてきた陸上詣でのごほうびということにしておこう。

 

事実、このレースを終えてもポイントの関係で、パリオリンピックに一番近いのは日本記録を出した塩尻、太田、相澤選手ではなく、4位の田澤選手のはずだ。でもポイントとタイムと順位をにらめっこしながらでは、運動会は楽しめない。

 

陸上を見るなら、知っている選手を作ることだ。それもできるだけ多く。地元の子どものような「立派になった」「久しぶり」「ずっと頑張ってる」選手たちの生の走りに声を枯らす、運動会的エンタメがあってもいい。