【希望の星だった、1964東京オリンピック】

加藤清隆の『俺に喋らせろ!』

【希望の星だった、1964東京オリンピック】

57年前の東京五輪の開会式は10月10日。凄い青空で、ブルーインパルスの五輪の輪が非常に印象に残っています。家でも学校でもテレビは白黒だったので、翌日の朝刊1面のカラー印刷か、その後観に行った映画の色が頭に残っているのでしょう。
その意味で選手団の掉尾を飾る日本選手団の赤と白のツートンカラーも強烈でした。
聖火ランナーの最終走者、早大競争部の坂井義則もよく覚えています。1945年8月6日生まれ。広島に原爆が投下された日に生まれました。
東京五輪を境に戦後ではなくなったような気がします。新幹線も五輪に合わせて開業し、高速道路もその時出来ました。
今回のようにウイルス・パンデミックもなかったし、国民が一丸となっていたような気がします。恐らく「日本に最も希望が溢れていた時」だったのでしょう。加藤

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