今の日本に山田良政はいないのか
34年前の1989年6月4日、高揚していた中国の民主化運動が銃剣と戦車のキャタピラによって潰された。世にいう天安門事件である。
その年の4月15日、総書記を解任されて2年も経っていない胡耀邦が心筋梗塞で急死した。彼を追悼する集会が北京・天安門広場で開かれ、多くの学生らが集まった。その数は日に日に増え、当時、中国共産党軍事委員会主席を務め、事実上、トップの地位を誇っていた鄧小平に対する不満となって火を噴いた。
胡耀邦に代わって総書記となっていた趙紫陽は、天安門広場に赴いて、「我々は来るのが遅すぎた」と拡声器で呼びかけ、そのまま失脚した。鄧小平らは戒厳令を布告した。
6月4日未明から始まった人民解放軍の弾圧で数百人から数千人が亡くなったといわれる。当時、大学生だった僕は、手に汗を握って、北京電の新聞記事を貪るように読み、テレビの前に徹夜で釘付けになった。
当時、中国経済論を早稲田で教えていた小島麗逸・大東文化大教授は「鄧小平を甘く見てはいけない。彼は経済政策は開放だけれども、政治的には保守に軸を移している。崩壊するならソ連が先だ。中国共産党が治める中国という国は鵺のように色々な顔を持つことができるのだ」と話していた。僕は革命はすぐに達成されると思っていたので、小島先生の言う通りになったときは、その慧眼に感嘆したものだ。中国政治の碩学といわれた学者の多くが「人民解放軍の一部が学生の側についた」などといった根拠薄弱な誤情報をNHKなどで喧伝していたからだ。
爾来、中国はアメリカが一時期、妄信していた「経済成長に比例して中国は民主化されるのではないか」という希望とは裏腹に専制国家への道をひた走っている。鄧小平は「あと20年は反自由化をやらねばならない」と言ったそうだが、それこそが一党独裁国家の当然の帰結なのだろう。
1911年に辛亥革命を成し遂げた孫文は、実は10回も武装蜂起を失敗している。最初の武装蜂起は恵州事件といわれたものだ。清朝末期、西太后の取り巻きの保守派官僚は、彼女の「西洋嫌い」に忖度して、義和団事件で蜂起した民衆が西洋列強の大使館を取り囲んだのに乗じ、西太后に各国に宣戦布告するように吹き込み、すでに死に体に近かった清朝は、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、イタリア、オーストリア、日本、ロシアの8カ国を相手に戦争を始めてしまう。8カ国は瞬く間に北京を占領し、これに乗じて、孫文は上海に入った。
当時、孫文を多くの日本人が支援していた。山田良政、平山周ら日本人は「李鴻章ら清朝の総督らを殺害し、決起すべきだ」と主張したが、孫文はこの策を取らなかった。配下の鄭士良に香港で蜂起させ、厦門に向かった。蜂起に呼応する民衆が加わり、軍勢はみるみる膨れ上がった。だが、蜂起は失敗した。なぜか。日本側に頼んでいた武器の調達が成らなかったからである。
当時の首相、伊藤博文は日本政府が孫文の蜂起に呼応して、支援することで欧米列強の不興を買うことを恐れていた。後藤新平や犬養毅は、孫文に支援を約束していたが、これは実行されなかった。
弘前藩士の家に生まれた山田良政は、終始、孫文に寄り添い、支援を続けていた。彼は孫文が挙兵すると、香港の司令官、鄭士良の下に走り、孫文からの「日本からの支援得られず」としたためた手紙を渡し、姿を消した。蜂起から16日目のことだ。
山田良政の消息は分からない。作家・保阪正康の書によると、処刑された孫文配下の革命軍の中に山田がいたという。山田は自分が日本人であることすら語らず、黙して従容と死に就いたといわれる。
1日、東京・新宿で中国人留学生らが集まり、天安門事件の犠牲者を悼む数百人がキャンドルに火をともし、犠牲者に思いを馳せた。
5月27日、岸田文雄首相は「日中友好」の旗印の下、日中韓FTA協議で、中国の李強首相に「自由で開かれた公正なビジネス基盤の確保に努める」という趣旨のことを言った。中国は未だに日本産水産物の禁輸も解かず、相変わらず中国の不動産すら日本人は買えないという不平等且つ閉鎖的な市場を改めようとしない。
いつまでこんな片務的でバカげたことを繰り返すのか。民主中国陣線の王戴・日本支部長は「必ずや中国は民主化に向かう。応援宜しくお願いします」と東京・新宿で言った。しかし、1998年、早稲田大学で講演した江沢民国家主席(当時)の警備をした警視庁は、この講演に傍聴を希望した者の学籍番号、氏名、住所、電話番号が記載された名簿を早稲田大学から提出させた。民主中国陣線が江沢民来日反対運動をしているという情報があったためで、早稲田と警視庁は民主化を求める学生に背を向けたのである。
垂秀夫・前駐中国大使は「戊戌変法が失敗に終わり、康有為、梁啓超ら清朝の改革派が日本に逃れてきた。孫文も日本を拠点とした」と東洋経済新報のインタビューに答えている。そして、垂氏は「今やジャック・マーなどの有名財界人も日本に生活の拠点を構えている」とも述べた。彼の言わんとしていることは僕でも分かる。僕は山田良政、宮崎滔天のような人材こそ今の日本に求められているのだと思う。
- カテゴリー
- 無料