敗者のストーリーに寄り添う方法はあるだろうか

文化スポーツライターキリンコ

敗者のストーリーに寄り添う方法はあるだろうか

カーリングの面白さは一投で形勢が逆転するところにある。一度のミスショットが相手の大量得点につながることもあるし、逆に失点確定かと思う劣勢を一撃でひっくり返すビッグショットもある。その度にカメラでアップになる投げ手の表情には動揺も高揚感もうっすらと見えて、観ているこちら側に思いを共有させてくれる。

 

中でも心臓をギュッと掴まれたように感じるのは、勝利を決めるラストショット。玉突きのように複数の石を弾くテイクショットではなく、円に石を置けば勝ちのドローショットだ。素人には簡単そうにも見える一投が、だからこそのプレッシャーとなって選手を襲う。そっと置くように手から離した石が無表情に円を通り過ぎる瞬間、チームの勝利も通り過ぎる。

 

試合を終えるチームの様子はいつも意外なほどサバサバしているけれど、そう簡単に切り替えられるものではないことは外野にもわかる。相手と握手する手の感覚もないくらいではないかと、勝手に推測したりもする。サヨナラホームランを打たれたピッチャーやPKを決められなかったストライカーと同じく、周りの背景が薄く見えるほどの苦しさが伝わる。

 

選手は落ち込んでから、また前を向く。だから敗戦には目を向けなくていいと考える人もいるだろう。もちろんメディアが感動を煽ろうとするシーンは要らないし、好奇心の目を向けたくもない。それでも。信頼しあうチームスタッフは一番辛い時間を記録してはいないのだろうか。すぐに公開する必要はない。後ろ姿だけでも、部屋の外からでもいい。時間がたって振り返る気になった時、その映像を見ながら当時の思いを自分の言葉で語ってもらえないだろうか。

 

マイナースポーツの面白さは、選手との距離の近さにあると思う。世界のトップアスリートも遠い存在ではない。だからこそスポーツそのものだけでなく、背後にあるストーリーにも寄り添わせてほしくなる。負けた時の苦しみ、うまくいかない時のもがきを知ってこそ、その選手と競技にひかれる。やっと立った大舞台、そこでつかんだ勝利は、選手のストーリーに寄り添ってこそひときわ輝く。

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