【伊能忠敬「大河への道」が難しい理由】

加藤清隆の『俺に喋らせろ!』

【伊能忠敬「大河への道」が難しい理由】

千葉県香取市が生んだ偉人、伊能忠敬で大河ドラマが出来ないか、を描いた非常に皮肉っぽい映画「大河の道」を観て来ました。
なぜ大河に出来ないか?いきなり答えを明かすと、大日本全図が完成したのは、忠敬が死んで3年後。つまり、全図は伊能の手で完成していないから。
もし死んだことを公表すると、幕府からの多大な予算が打ち切られ、地図が出来ないことを恐れ、関係者が隠したのだという。
それにしても伊能忠敬が地図作りのため、全国を回り出したのが60歳。それから17年ひたすら日本中を歩き回るのだが、当時の76歳と言えば、今では90歳後半か100歳くらい。その体力と執念には本当に驚くばかりだ。
幕末に日本を植民地にしようとやって来たイギリスがこの地図を見て、「日本人は大変な民族だ」と諦めたのは、さもありなんと思うばかりだ。加藤

【伊能忠敬「大河への道」が難しい理由】”へ2件のコメント

  1. こまった より:

    (一口メモ)北海道の地図はアイヌの協力によって出来たとの事。舟はシャケの皮で補強したと言う。でもシャケの皮は柔らかいですよね、どうやったのか見当がつきません。

    1. こまった より:

      伊能忠敬がアイヌの協力を得たに訂正です。間宮海峡があるから間宮林蔵も地図作ったんじゃないかな、わかんないけど。二人は知り合っています。

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