真珠湾攻撃、大東亜戦争突入

加藤清隆の『俺に喋らせろ!』

真珠湾攻撃、大東亜戦争突入

8日(現地時間7日)、日本海軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、日米開戦の口火が切られた。戦後、GHQが太平洋戦争という呼称を強制したため定着し、学校でもそう教えられた。
しかし真珠湾攻撃の1時間以上前に日本陸軍が英領マレー半島コタバルに上陸し、英国軍と戦ったことは余り知られていない。
そもそも閣議決定された呼称は大東亜戦争だ。7月に新潮社から出版され、売れている歴史書の名前は「決定版大東亜戦争」だ。編集部は「イデオロギー抜きにすれば、最も的確に伝える」とあえて大東亜戦争と名付け、よく売れているという。
戦争の範囲を考えれば、太平洋戦争では日米戦争となり不適切。また大東亜戦争推進要綱には「アジア諸国の解放」が謳われており、戦争の目的がより正確に分かるのではないか?加藤

真珠湾攻撃、大東亜戦争突入”へ3件のコメント

  1. 匿名 より:

     米国の原子爆弾使用、ソ連の不可侵条約破棄、物資の不足などにより敗戦やむなきに至った日本の行為を米中英ソ濠加仏蘭新蘭印比十一ヶ国は、極東国際軍事裁判を開き事後法によりて審判し票決により昭和二十三年十二月二十三日未明、土肥原賢二・松井石根・東條英機・武藤章・板垣征四郎・広田弘毅・木村兵太郎七士の絞首刑を執行した。
     横浜市久保山火葬場よりその遺骨を取得して、熱海市伊豆山に安置していた三文字弁護士は、幡豆町の好意により、これを三ケ根山頂に埋葬し、遺族の同意と、清瀬一郎・菅原裕両弁護士等、多数有志の賛同とを得て、墓石を建立した。
     遥かに遠く眼を海の彼方にやりながら、太平洋戦争の真因を探求して恒久平和の確立に努めたいものである。
        昭和三十五年七月十七日
         極東軍事裁判
         弁護団スポークスマン
            弁護士 林 逸郎 誌

    1. 匿名 より:

      上皇陛下の誕生日にこれを決定し、翌年のまた同じ日の12/23に執行された。忘れないようにとのGHQの更なるイヤガラセだと雑誌で読みました。

      1. 匿名 より:

        敵は沖縄戦でも勝つことが出来ず本土、高松・大阪・東京を空襲し、広島・長崎に原爆を落としました。どちらも国際法違反です。
        天皇陛下の昭和20年8月15日の放送には、二度と原爆を使用せぬようにとありましたがそれはあまり知られていません。ラジオの雑音でたいてい聞こえなかったそうです。

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