BLITZ推しでいこう#9

~タブーを取り払ったからこそ見えるものとは~

車いすラグビーチームBLITZ  田村学選手

文化スポーツライターキリンコ

BLITZ推しでいこう#9
~タブーを取り払ったからこそ見えるものとは~
車いすラグビーチームBLITZ  田村学選手

「人との関係って会社の名刺交換じゃないから、ある程度本音のトークがあった方が繋がれるよね」「口ばっかり達者で困っちゃう」…とまあ、ポンポン言葉が飛び出し、もはやプロなのではないかと思うほど話がおもしろい田村選手は、アテネ、北京、ロンドンと3つのパラリンピックに出場した元日本代表選手であり、今年は日本車いすラグビー連盟の理事でもある。

 

気さくな声掛けで人との距離を縮められる性質は持って生まれたものなのだろうけれど、大会の解説者として会場や配信を盛り上げる本心には「なんとか競技人口を、そして観客を増やして、この競技を育てたい」という切実な思いが詰まっている。

 

「きれいごとじゃなく、支えてくれる人がいなければこのスポーツ自体が成り立たない。そのためにはアピールして、いい試合をして、そして勝たないと」

 

何が何でも車いすラグビーをとりまく環境を守るんだという、強い意志が伝わってくる。では、なぜ車いすラグビーなのか。

 

「コートに入った時点で障がいとか、言い訳にする材料がひとつもないんですよね。世の中の不平等もなく自分の力だけで戦える。自分の物差しになっている場所だと思う」

 

「障がい者がぶつかり合って余計障がい者になるようなスポーツって、ちょっといかれちゃってるよね。頭のねじがとれちゃっているんじゃないの? とかね。でもそれがスポーツとして成立して、見せちゃいけないようなものを見せることで、タブーをなくせるのが車いすラグビーの魅力だと思う。障がい者と健常者、それから障がい者同士も、お互いに気を使いすぎているところがあるからね、それを本気のぶつかり合いが取っ払ってくれる」

 

ちょっと過激な表現の中に、車いすラグビーへの思いがあふれる。同時に、これまで車いすラグビーに感じていた得体のしれない吸引力が何なのか、その答えを教えてもらったような気がした。

 

選手は激しいタックルを受けて転倒すると、自分で起き上がることができない。天井を見つめてサポートを待つ。手の麻痺のせいでパスが受け取れないこともある。それを見る私たちは、目をそらすのか、違う。がんばっていてえらいと称賛するのか、違う。シンプルに悔しがるのだ。そして次に相手の選手をタックルで倒したとき、無理かと思うような姿勢でパスをキャッチしたとき、勝ち誇ったような歓声を上げるのだ。

 

選手たちが持てる力を使い切るだけでなく、持たない力をもさらけ出してくれるからこそ、私たちは持たない力を正面から見ることができる。見て見ぬふりをするのではなく、正面から見て、さらに強さやカッコよさが数倍も上回ることに興奮し、引き込まれる。車いすラグビーを見るときに感じる爽快感はこれだ。

 

「BLITZもね、一人ひとり個性が強くてわがままでもう大変。『来年もこのチーム続いてるのかな』って心配になるくらい、危ない船に乗っているような緊張感がいつもあるんですよ。でもそのバラバラなメンバーが一つになるからこそ、おもしろいし魅力があるんだと思う」

 

一人ひとりの能力や障がい、そして人間としての個をさらけ出してBLITZはプレイする。きれいごとではない身体と技と個性のぶつかり合いが、すさまじい金属音とともに小さな気遣いや迷いを吹き飛ばしてくれる。

 

BLITZ推しで、よかった。