BLITZ推しでいこう#8

~知ることで選手の未来が変わるとしたら~

車いすラグビーチームBLITZ  古井清流(こいきよら)選手

文化スポーツライターキリンコ

BLITZ推しでいこう#8 ~知ることで選手の未来が変わるとしたら~
車いすラグビーチームBLITZ  古井清流(こいきよら)選手

4月1日。年度初日の練習でコートに立つ古井選手は少し緊張しているように見えた。無理もない。今年からチームに入ったばかり、しかも3月に大学を卒業し、社会人として1年目をスタートさせようとするまさにその時だったのだ。

 

「怪我をする前からこの競技の存在は知ってたんです。リオのパラリンピックで銅メダルをとりましたよね。僕は出身が高知なので、地元のテレビでは高知に住むキャプテンの池選手のことがニュースになっていました。それで『こんな競技があるんだ』って」

 

野球に夢中だった当時、自分がこの競技に関わるとは想像もしていなかったはずだ。それでも大学で体育学部を専攻していた2019年に海での事故で頸椎を損傷し、車いす生活になってからリハビリを経て復学、再びスポーツをはじめ就職し…と人生を前へと進める時、力になっているのは「知っていたこと」「出会えていたこと」だったようだ。

 

「大学に頸椎損傷で車いすラグビーをやっている先輩がいて、いろいろ教えてくれたことが大きかったです。こんなこともできるよとか、大学に復学する時のこととか。おかげでかなり不安が解消されました」

 

「元々クヨクヨしない性格だし、自分が遊んで勝手に怪我したんで、しゃあないな、という感じで」と笑うが、人生が大きく回転する中で立ち止まらずに進むのは簡単なことではない。

 

「障がいを負ったときの環境がとにかく大事。障がいがあってもこんなことができると知っている人が周りにいないと、何年も家から出ない…なんてことになりかねない。それが若い時だったらなおさら、どんなに大きな損失かと思う」そう教えてくれたチームトレーナーの言葉を思い出す。

入院先のリハビリセンターで車いすラグビーを初めて体験したという古井選手。日本選手権を見に行ったときのBLITZの選手の印象を「強くてレベルが高くて。この人たちと一緒にできたら、自分も成長できると思った」と話す。

もし『車いすラグビーはパラリンピックで日本がメダルをとったスポーツ』と知らなかったら。もし東京にBLITZという本気のチームがなかったら。慣れない社会人生活に疲れながらも、週末になると自ら運転して体育館に通う古井選手の姿はなかったかもしれない。

 

「野球とは競技性が全然違うから苦労してます。動きも流動的だし攻守の切り替えも早い。視野を広く持たないといけないですし。でもいいプレイを見ても、失敗して悔しくても気持ちが高まる。もっと上手くなればもっと楽しいだろうな、と思って頑張ってます」

 

車いすラグビーの面白さを語る古井選手は、純粋に新しい競技に挑戦する若者そのものだ。

 

「まだルールもきちんとわかってないんです。とにかく練習についていくのが精一杯で」と古井選手。いやいや、5月、6月と練習を訪ねるたびに動きがスムーズになり、試合にも自然に参加していることに驚かされた。ましてやチームには日本代表のローポインターである長谷川選手、小川仁士選手も在籍する。知るチャンス、伸びるチャンスはいくらでもあることだろう。

 

古井選手が車いすラグビーを始めてから最初の大会となる日本選手権予選は10月だ。それまでの4か月間でどんなふうに成長していくだろう。そしてその後、勝ちにこだわるこのチームの中でどんな存在になっていくだろう。楽しみでしかたがない。