にわかがハマる、スポーツ観戦術

文化スポーツライターキリンコ

にわかがハマる、スポーツ観戦術

クライミングに柔道、野球に陸上、ラグビー、バスケ。スポーツに縁がなかった姉が、オリンピックあたりから試合観戦に付き合ってくれるようになった。お祭り好きで真面目な性格は、スポーツ観戦にぴったりだ。前日にはチームやルールを予習し、当日はビールを片手に前のめりになる。そんなスタイルを1年以上見てきて、推しのいないにわかファンを引きつけるために必要なものが見えてきた。一体感だ。

 

野球やサッカーはとにかく母数が多いから、いつだって応援のプロと新人が大量発生している。見よう見まねでプロ応援をしても誰にも怪しまれない。群衆に紛れる気楽さがあるけれど、一体になるには距離がある。チームや選手への個人的なストーリーがないと、のめり込むのは難しい。

 

クライミングや柔道、陸上は、観客の多くが経験者だ。揃いのウェアを着た関係者も多く、にわかは一体感どころか、お客様感を味わうことになる。それでも成功か失敗か、勝ちか負けかの決着がすぐにつき、わかりやすいルールはにわか向き。気がつけば関係者たちより夢中になって声援を送っていたりする。

 

ラグビーやバスケは盛り上がりやすい。攻守が激しく入れ替わるスピード感は、そもそもにわかを熱くしてくれる。それでも一体感と呼ぶには、何か、もう一押しできそうだ。その何かを、コロナ禍の東北で3年ぶりに開催された祭りで、思いがけなく見つけることになった。

 

ねぶた祭りでは行列参加が制限された。それならハネト用の鈴を付けて、ラッセ、ラッセ、ラッセラー、と振りたかった。竿燈祭りでは竿燈持ちの体験ができなかった。それなら高さや技を競う竿燈の掛け声が地区ごとに違ったらもっとよかった。にわかも掛け声で隣の竿燈と競っている気になりたかった。

 

迫力に圧倒され、伝統文化に酔いしれ、それを背負う地元の矜持に胸を打たれる。だからこそ、通りすがりの見物客も、その場限りでも祭りの一部になった気分を味わいたい。そしてその気分は、ちょっぴりだけ特別感のあるアイテムや飽きのこない掛け声で、十分に満たされるくらい安上がりなものだと思うのだ。

 

そう考えると野球の風船飛ばし(復活するかわからないけれど)や何パターンもある応援歌はさすがによく出来ている。試合中にやることがあるというのは大事で、覚えたり手を振ったり忙しいからこそ、それを忘れるくらいの時が止まったような興奮の瞬間が、胸に強く刻まれるのだ。

 

応援用のバルーンスティックやハリセンはよく見るけれど、「これこれ、これが持ちたくて来た」と思えるような(決して高価でない)そのスポーツならではの小さなアイテムがほしい。それを手に、古参のファンに混ざって試合が終わるころにマスターできるくらいの難易度の応援リズムを刻む。これをどのスポーツでもやれたら、スポーツ観戦はお祭りになる。

 

スポーツが与えてくれるのは、ストーリーを知ってるからこその共感でなくてもいい。ルールに詳しいからこその興奮でなくてもいい。その場限りだからこそ盛り上がれる祭りもいい。エキサイティングは、人生の希望だ。

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